日本史②A 課題1

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    課題
    「古代国家の成立から院政の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
    魏志倭人伝・邪馬台国・大宝律令・摂関政治・院政」
    (インターネット上の東洋大学シラバスより引用)

    参考文献
    家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
    鎌田元一『律令国家史の研究』 塙書房、2008年
    吉田孝『日本の誕生』岩波新書、1997年
    吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、1983年

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     古代において、日本列島は中国から倭・倭国と称された。三世紀末の中国の歴史書『三国志』中の東夷伝に当時の日本列島の民族、倭人(日本人)の地理や風俗などについて書かれている。これが所謂『魏志倭人伝』である。『魏志倭人伝』には、当時の倭に女王卑弥呼が治める邪馬台国を中心とした国が存在し、また、邪馬台国に属さない国として、対海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国が存在していたと記されている。
     三世紀中後半から七世紀頃までは古墳時代と呼ばれ、三世紀中頃に畿内に出現した前方後円墳とそれに伴う墓制が急速に列島各地に広まり、関東から西日本に掛けて地域的な政治集団が連合してヤマト王権を形成した。また、三世紀半ばから五世紀にかけて、中国の史書から倭国に関する記録がなくなり、日本の歴史で4世紀は「文献史料の空白期」 となっている。そのため、邪馬台国とヤマト王権との関係は判然としない。
     古墳時代を経て、六世紀末、初の女帝となる推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子らが官僚制の強い政治基盤を築きあげた。彼らは冠位十二階や十七条憲法の制定などを通じ、王権の革新を積極的に推し進めた。また、六世紀中頃に日本に...

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