使徒信条における信仰告白「我らの救い主イエス・キリストを信ず」についての一考察
使徒信条における、この「我らの救い主」という信仰告白は弟子たちのイエスの復活体験に最も密接に結びついている。(Ⅰコリ12:3.etc)イエスはキリストであったという告白よりむしろ、イエスは主であるというこの確信はユダヤの人々の集団と初期キリスト者とを決定的に二分した。彼らは、見捨てられたメシア、呪われた犯罪者であるイエスに、ユダヤ教においてただイスラエルの神のためだけに、とってあった御名を適用した。復活との関連で詩篇110:1の頻繁に用いることは、イエスが神の存在と支配と共にあるところへ入っていくことによって高められることとしての復活の理解を示している。「主は私の主に言った。“わたしがあなたの敵をあなたの足の足踏む台とするまで、わたしの右側に座りなさい。”主という敬称と聖なるせいについての言語の密接な関係は、高められた方が弟子たちの間で力強く存在しているという確信を指し示している:「霊において語る時、誰もイエスは呪われよと言わないし、聖なる霊のよってでなければ、だれもイエスは主であるとは言わない。」
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