なぜ一番狡猾な蛇が勧めた実が「善悪の木の実」であり、エバとアダムはエデンの園の中央に生えさえて「いのちの木の実」を先に食べず「善悪の木の実」を先に食べたのか。
ゼミで扱ったキリスト教旧約聖書である創世記内では、3−22から解るように「いのちの木の実」は、人間達が永遠に生き延びられるような性質を持つ食べ物であると推測できる。それならば、なぜ「いのちの実を」人間は食べなかったのだろうかと疑問に思い、推論形式のレポートを制作しようと思った。
推定?、食べてはいけない実についての認識ミス。
キリスト教旧約聖書である創世記内では、神である主は、7−16から7−18にかけての記述で「善悪の実」は食べてはいけないと謳っているが、「いのちの木の実」についての記述はない。しかし、エバは3−3で、「その中央にある実について・・・それを食べてはならない・・・と仰せになりました。」とご認識した意見を蛇に述べている。これにより、アダムもエバも共に神が命じた食べてはいけないモノに「いのちの木の実」が入っていたと認識していたと考えられる。
表題 「善悪の木の実」の魅力さと、「いのちの木」の魅力なさについて
なぜ一番狡猾な蛇が勧めた実が「善悪の木の実」であり、エバとアダムはエデンの園の中央に生えさえて「いのちの木の実」を先に食べず「善悪の木の実」を先に食べたのか。
ゼミで扱ったキリスト教旧約聖書である創世記内では、3-22から解るように「いのちの木の実」は、人間達が永遠に生き延びられるような性質を持つ食べ物であると推測できる。それならば、なぜ「いのちの実を」人間は食べなかったのだろうかと疑問に思い、推論形式のレポートを制作しようと思った。
推定①、食べてはいけない実についての認識ミス。
キリスト教旧約聖書である創世記内では、神である主は、7-16から7-18にかけての記述で「善悪の実」は食べてはいけないと謳っているが、「いのちの木の実」についての記述はない。しかし、エバは3-3で、「その中央にある実について・・・それを食べてはならない・・・と仰せになりました。」とご認識した意見を蛇に述べている。これにより、アダムもエバも共に神が命じた食べてはいけないモノに「いのちの木の実」が入っていたと認識していたと考えられる。し...