<序章> 私は卒論のテーマを何にするかと具体的に決めているわけではない。しかし、今回は「武士道」という姿勢に注目してみることにした。
それは、武士道が単に、日本の歴史上に存在した武士達の生き様を映しているのではなく、日本には数知れない宗教は混合している中、神道、仏教、儒教(儒教は、宗教にあたしないという意見もあるかもしれない。「だが、孔子は顔淵が死んだとき『ああ、天、予れを喪ぼせり』と嘆じていますね。あの天というのは、神と言ってもよいのではないでしょうか(中略)方法が違うだけで、向かっているところはまったく同じなのです。」(「武士道入門」P72、P73)から、宗教に位置づけられるとして話しを進める。)という三つの宗教の姿勢を武士道が受け継いでいると知ったからだ。
まずは、新渡戸稲造の武士道を読んだ。武士道の原書は、英語で書かれているので、手にしたのは翻訳の書だ。翻訳書は幾つかの出版社で出されているが、武士道の訳本は、それぞれ訳者の主観的感想が付随されていた。せっかくならばその感想も、武士道を考える上の参考にさせて頂こうと思い、その為まずは、奈良本辰也翻訳「対訳武士道」を読み、概要を理解したうえで、様々な翻訳の書を手に取り比較した結果、飯島正久翻訳「武士道」(築地書館)を選んだ。