本レポートでは、映画『アバウト・シュミット』を題材として、旅をテーマとした一映画の表現について考察してみることにする。
はじめに、題材とする映画『アバウト・シュミット』について簡単に説明しておくことにする。『アバウト・シュミット』は、妻をなくしたシュミットが、娘の結婚に際して4日間の旅をする過程を描いた作品である。シュミットが定年退職した矢先、急病で妻を失う。そんな最中、娘は結婚を迎えるが、結婚相手は「バカ」、嫁ぎ先の家族も「程度の低い連中」で、シュミットは結婚に反対する。結婚式を迎え、シュミットはキャンピングカーで各地を旅しながら娘の元へ2日がかりで行き、式に出席する。最後まで結婚に反対するが、結局阻止することはできず、己の無力さを知りながら帰宅する。すると家には送金によって援助していたアフリカの孤児の元からの手紙が届いていて、自分が誰かの役に立っていたのだということを実感した(ということにしておく)ところで幕を閉じる。
<視点について>
まずは、視点について考えてみたい。多くの場合映画では、「地の文」が存在しないので、内的焦点化も当然ありえない。しかし、この映画に限っていうと、内的焦点化が存在する。それは、ナレーションの多用によってである。
この映画のナレーションとは、主人公のシュミットが孤児のンドゥグに向けて送る手紙の内容として語られるものであり、それゆえ一人称視点である。一人称視点での語りであるということは、語られる内容が必ずしも真実ではないことを意味する。実際にこの映画では、映像として映し出される視覚的情報と、シュミットの手紙として語られる聴覚的情報との間にかなりのずれがある。例えば、妻のいなくなった後の生活について、「生活は以前のままである」という語りの情報と同時進行で、以前とはうって変わってだらしなくなってしまった生活の様子が視覚的に提示されたりする。
映画『アバウト・シュミット』にみられる映画表現についての考察
本レポートでは、映画『アバウト・シュミット』を題材として、旅をテーマとした一映画の表現について考察してみることにする。
はじめに、題材とする映画『アバウト・シュミット』について簡単に説明しておくことにする。『アバウト・シュミット』は、妻をなくしたシュミットが、娘の結婚に際して4日間の旅をする過程を描いた作品である。シュミットが定年退職した矢先、急病で妻を失う。そんな最中、娘は結婚を迎えるが、結婚相手は「バカ」、嫁ぎ先の家族も「程度の低い連中」で、シュミットは結婚に反対する。結婚式を迎え、シュミットはキャンピングカーで各地を旅しながら娘の元へ2日がかりで行き、式に出席する。最後まで結婚に反対するが、結局阻止することはできず、己の無力さを知りながら帰宅する。すると家には送金によって援助していたアフリカの孤児の元からの手紙が届いていて、自分が誰かの役に立っていたのだということを実感した(ということにしておく)ところで幕を閉じる。
<視点について>
まずは、視点について考えてみたい。多くの場合映画では、「地の文」が存在しないの...