教育基本法レポート

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    資料紹介

    資料の原本内容

    1.はじめに
    現行の教育基本法の男女共学の条項は、教育基本法改正案において唯一削除が明記されている。改正案を作成した中教審は第五条の削除理由について『男女共学の趣旨が広く浸透するとともに,性別による制度的な教育機会の差異もなくなっており,「男女の共学は認められなければならない」旨の規定は削除することが適当である』(注1)と主張している。その一方で中教審は「社会における男女共同参画は,まだ十分には実現しておらず,男女が互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い,その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会を実現するためには」現行法第五条の「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないもの」であるという「理念は今日においてより重要である。」(注1)としている。しかしながら、果たして「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないもの」という理念と、「教育上男女の共学は認められなければならない」という規定は、このように分けることが出来るものなのだろうか。
    2.第5条の趣旨
    まず、現行の教育基本法において「男女共学」定められた趣旨を見ていきたい。
    戦前は、明治24年に出された「学級編成等ニ関スル規則」(文部省令第十二号)で、尋常小学校の学級編成を定めた第2条の4項「同学年ノ女児ノ数一学級ヲ組織スルニ足ルトキハ該学年ノ男女学級ヲ別ツヘシ但第一学年及第二学年ニ於テハ此限ニ在ラス」(注2)や、高等小学校の学級編成を定めた第3条の4項「全校女児ノ数一学級ヲ組織スルニ足ルトキハ男女学級ヲ別ツヘシ」(注2)によって、尋常小学校では第3学年から、高等小学校では第1学年から、明確に男女別学を規定している。高等教育機関では、男女は完全に別けられ、帝国大学に到っては女性の入学を、丹下梅子のような事例を除いて認めていなかった。つまり、単に男女別学ではなく、女性は教育を受けることに対して制限ないしは排除を受けていたのが実情である。大日本帝国憲法でも女性の権利は制限され、そのような価値観に基づいた教育は、日本社会の男尊女卑的な体質を助長し、女性の社会進出を著しく妨げていた。
    それに対して、戦後制定された日本国憲法では、第14条1項において男女平等を定めている。憲法の男女平等の精神を実現するためには、それに基づく教育が不可欠であることは言うまでも無い。教育基本法第5条はこの精神に則って作られたものである。男女共学制度は、男女に平等に教育の機会を保障し、男女が互いの実像に触れ、共通の体験を経ることによって、双方の理解と尊敬の念を深める、という意味を含んでいる。これらのことから、男女共学というシステムが、男女平等という理念の根幹を担っていることは明確である。確かに、それまで妨げられてきた女子教育を発展、充実させるための「男女が同水準の教育を受ける権利」を実現するためという趣旨はもちろん含まれている。ただ、それだけでは無く、「互いに敬重し、協力」するための基盤としての意味合いも非常に強いということを考えなくてはならないのではないか。
    3.現行法と改正案の比較
    ここで、男女平等という観点で現行法と改正案を比較したい。まず、現行法では、第3条において「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」とし、また第5条において「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。」としている。一方、改正案では、教育の目標を定めている第2条3項において「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」とし、現行法第3条をほぼ同じものが第4条1項で定められている。
    現行法第3条と改正案第4条1項は問題無いとしても、現行法第5条の趣旨を、改正案第2条3項が引き継ぐとしているが、果たしてそうだろうか。先ほど述べたように、現行法第5条は、男女平等、男女同権の実現、促進という意味合いも込めて「男女共学」としている。それを丸々削除する、ということは「男女別学」であっても、男女共同参画は実現できる、という認識を示していると言える。しかし、女性差別撤廃条約では第10条において「すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割についての定型化された概念の撤廃」のためには男女共学が最も有効な手段であるとしている。男女が互いの実像に触れながらのほうが、男女平等というものを理解し得るというのは、当然である。社会における男女共同参画は、まだ十分に実現されていない、という認識を示しながら、それを実現するための有効な手段を削除するというのは、正直腑に落ちない。
    また、もう一つ懸念されるのが改正案第10条の家庭教育である。これは、教育における家庭の役割を規定するものだが、父母の性別に基づく役割分担、具体的に言えば、先の下村官房副長官の「女性は家庭を守るべき」といった趣旨の発言に代表されるような価値観が強調される危険性を含んでいるとも言える。
    4. 男女共学制度の実情
    では、中教審の答申の通り、「男女共学の趣旨が広く浸透するとともに,性別による制度的な教育機会の差異もなくなって」いるのだろうか。一見するともっともらしいが、現状を鑑みると、どうだろうか。確かに、公立学校においては、宮城県、群馬県、栃木県、山口県、埼玉県、などで男子高校または女子高校が存在するが、殆どは共学高校であり、地方自治体によっては、別学高校の共学化を決定している所もある。ただし、私立学校においては、未だに別学学校が多数存在している。それでも、日本全体からすれば圧倒的に採用されているのは共学制度である。
     ここで問題なのは、「共学制度」の中で行われている「別学制度」である。例えば、男女共学校でさえ、電気科では男子が大勢を占め、栄養科では女子が大勢を占める、といったように、実質的に男女別学のような様相を呈するものである。これらは、社会全体のジェンダー観や、小中学校において、いわゆる「隠れたカリキュラム」や教師のジェンダー観によって形成されたジェンダー観によるものである。ある中学校の英語の授業において、英作文で、弁護士の登場人物をほとんどの生徒が「He」と書いたといった事例や、科学の実験で、実験を行うのは男子生徒、使用した器具を洗うのは女子生徒、といった性別による役割分担が現れる事例が、未だに多数見受けられる。また、ある中学1年生の男子生徒(アルバイト先の塾の生徒)の母親の「女の子だったら、別にいいんだけど、男の子だから大学には行かせたい」といったような発言に見える親や家庭のジェンダー観も大きな問題であると言える。その中で「趣旨が広く浸透」したと言い切るのは、早計な気がしてならない。
    また、たしかに「性別による制度的な教育機会の差異」は表面的には無くなってきているが、実態は「制度」としては「共学」であるだけで、中身を伴っていない、形骸化したものであると言える。
    5.結論
    以上のことから、男女共学は単純に女子教育の振興を主眼に置いた「性別による制度的な教育機会」の均等を目指しているものではなく、それによって男女平等の精神を養うという面も持ち合わせていることが明白である。また、男女共学制度の持つ、「男女共同参画社会」の基盤としての働きは、未だに十分に機能せず、逆に形骸化を起こす事態となっている。今こそ、「男女共学」という制度も持つ意味を考え、男女平等の教育を強化するべきではないだろうか。未だに様々なジェンダー観に縛られ、男性中心といわざるを得ない今日の社会において、現状を変えてゆく基盤たるこの制度は、必要不可欠であると思う。
    注1・文部科学省HP中央教育審議会答申
       http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/index.htm
    注2・国立国会図書館近代デジタルライブラリー 学制実用問答
       http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php
    参考図書
    教育基本法「改正」-私たちは何を選択するのか- 西原博 岩波ブックレット 2004年
    教育基本法改正批判 日本教育法学会編 日本評論社 2004年
    いま、なぜ教育基本法の改正か 教育科学研究会 国土社 2003年
    教育基本法問題文献資料集集成Ⅰ
    第2巻 教育改革の現状と問題-教育刷新審議会報告書- 日本図書センター 2006年
    参考資料
    ・文部科学省HP  http://www.mext.go.jp/

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