ロックは観念について、生得論を否定し、心を白紙という比喩で膨大な量の観念はすべて経験に根底を持ち、全ての観念は経験に由来するとしている。観念は二つの大きな源泉から成り立っているという。それは感覚と内省である。
私たちの感官がそれぞれの可感的事物に関わって、色や熱さ、固さや味などの可感的性質と呼ばれるものについての観念を私たちは得ることができる。「私たちも持つ観念の大部分のこの大きな源泉はまったく感官に依存し、感官によって知性へもたらされるので、私はこの源泉を感覚と呼ぶ。」
ロックの観念論
ロックは観念について、生得論を否定し、心を白紙という比喩で膨大な量の観念はすべて経験に根底を持ち、全ての観念は経験に由来するとしている。観念は二つの大きな源泉から成り立っているという。それは感覚と内省である。
私たちの感官がそれぞれの可感的事物に関わって、色や熱さ、固さや味などの可感的性質と呼ばれるものについての観念を私たちは得ることができる。「私たちも持つ観念の大部分のこの大きな源泉はまったく感官に依存し、感官によって知性へもたらされるので、私はこの源泉を感覚と呼ぶ。」(1)
知覚、考えること、疑うこと、知ること、意志することなど私たち自身の心の働き、つまり知性がすでにある観念について働くとき、私たち自身の心の作用についての知覚を内省という。「この源泉のもたらす観念は、心が自分のうちに自分自身の作用を内省して得るようなものだけだからである。」(2)
さらに内省について子どもは「通常、最初の数年は外を眺めることに費やされ、これに向けられる。この間の人々の仕事は、外に見いだされるはずのものを識ることである。そこで、人々は外部感覚にたえず注意しながら成長するので、かな...