都市と現代人
改めて自分自身で都市社会学について考えてみようとするとき、都市とは何かという疑問が浮かびあがる。都市は「都会」というイメージと結びつく。大勢の人が活動していて、そこではビジネスが行われ、人間関係はきわめて希薄で、人々は全体的に疲れ気味である。
奥井復太郎-と支社と〜 を読んだところ、彼の都市社会論が市民の生活に着目した上で展開されていたことがわかった。
「では、地域について、何を調査すべきなのか。かれは地域調査が特定の地域のなかに含まれている社会集団とその生活様相を全面的にとりあげて、空間的な特殊性を俯瞰するものだとする。」
都市というものは、人々が活動する空間なのだから、それを研究する際には、人々の活動に焦点をあて、そこから始めるのが一般的であり、当然なのではないか、と思ってしまった。しかし当時のことを考えてみれば、現在ほど「個人」という概念が確立され、強調されていなかった社会であっただろうし、
「町内では身分を離れた人格、基本的人格といったものは認められていなかった。」
とあるように、個人の意思が関係するというよりは職業や身分によってひとまとまりにされていたと考えることができる。しかし現代では奥井が人々の生活に着目したように、都市においてはその構成員の活動を調査しなくては本質を捉えることはできないだろう。
都市と現代人
改めて自分自身で都市社会学について考えてみようとするとき、都市とは何かという疑問が浮かびあがる。都市は「都会」というイメージと結びつく。大勢の人が活動していて、そこではビジネスが行われ、人間関係はきわめて希薄で、人々は全体的に疲れ気味である。
奥井復太郎-と支社と~ を読んだところ、彼の都市社会論が市民の生活に着目した上で展開されていたことがわかった。
「では、地域について、何を調査すべきなのか。かれは地域調査が特定の地域のなかに含まれている社会集団とその生活様相を全面的にとりあげて、空間的な特殊性を俯瞰するものだとする。」
都市というものは、人々が活動する空間なのだから、それを研究する際には、人々の活動に焦点をあて、そこから始めるのが一般的であり、当然なのではないか、と思ってしまった。しかし当時のことを考えてみれば、現在ほど「個人」という概念が確立され、強調されていなかった社会であっただろうし、
「町内では身分を離れた人格、基本的人格といったものは認められていなかった。」
とあるように、個人の意思が関係するというよりは職業や身分によってひとまとまりにされていたと考えるこ...