「武士の成立」というテーマを考えるとき、まずは「武士」の定義を考えなければならない。そして、その定義を満たしたときに初めて「武士が成立した」と言えるだろう。
ではここで、私の考える武士の定義を述べたいと思う。私が考える武士の定義は「天皇や貴族などの日本古来の権力に頼らず、武力で日本を支配しようとした者」というものである。そこで、ここでは私の考える定義を満たした時を「武士の成立」として考えていきたいと思う。
それではまずはじめに、7世紀から8世紀の律令国家の時代について述べようと思う。この時代は、「武官」と呼ばれる役職があったが、あまり文官との区別がされていなかった。しかし、朝鮮などの対外戦や、東北地方の蝦夷への対内戦を意識してからか、軍制が強化されていった。例えば、中央では衛士府や兵衛府、衛門府といった武力を持つ役職が現れ、地方では、徴兵制などの制度により、約千人規模の軍隊が六十六ヶ国に存在していた。さらに、政治事件が起こるとすぐに軍隊が出動し、内戦に持ち込み鎮圧するという、まさに「武力優位の軍隊の時代」であった。
しかし792年に「健児の制」が出されると、今まで優位いた軍隊が力を弱め、対内戦も無くなり、対外戦も意識しなくなっていった。
「武士の成立」というテーマを考えるとき、まずは「武士」の定義を考えなければならない。そして、その定義を満たしたときに初めて「武士が成立した」と言えるだろう。
ではここで、私の考える武士の定義を述べたいと思う。私が考える武士の定義は「天皇や貴族などの日本古来の権力に頼らず、武力で日本を支配しようとした者」というものである。そこで、ここでは私の考える定義を満たした時を「武士の成立」として考えていきたいと思う。
それではまずはじめに、7世紀から8世紀の律令国家の時代について述べようと思う。この時代は、「武官」と呼ばれる役職があったが、あまり文官との区別がされていなかった。しかし、朝鮮などの対外戦や、東北地方の蝦夷への対内戦を意識してからか、軍制が強化されていった。例えば、中央では衛士府や兵衛府、衛門府といった武力を持つ役職が現れ、地方では、徴兵制などの制度により、約千人規模の軍隊が六十六ヶ国に存在していた。さらに、政治事件が起こるとすぐに軍隊が出動し、内戦に持ち込み鎮圧するという、まさに「武力優位の軍隊の時代」であった。
しかし792年に「健児の制」が出されると、今まで優位いた軍隊が力を弱...
自論もしっかりとしていた。