従来の『こころ』は、『先生と遺書』を中心として、恋愛の三角関係による人間関係のもつれと、そこから抽出されるエゴイズムと罪との問題が作品の主題とした名作であるという読み方が為されてきたが、従来の読み方に疑問を呈し、多面的に『こころ』を解釈する。
『こころ』—隠蔽されたもの
夏目漱石が記した『こころ』は、1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で連載された長編小説である。1914年(大正3年)9月『こころ』岩波書店より刊行され、上『先生と私』、中『両親と私』、下『先生と遺書』の三編から成る。
従来の『こころ』は、『先生と遺書』を中心として、恋愛の三角関係による人間関係のもつれと、そこから抽出されるエゴイズムと罪との問題が作品の主題とした名作であるという読み方が為されてきたが、従来の読み方に疑問を呈し、多面的に『こころ』を解釈する。
まず挙げておきたいのが、抑圧される女性の象徴である先生の妻、静の存在である。本作において三角関係の中核であり、重要な登場人物である静だが、その人格像が明確に露見することはない。先生によって静の言動は抑圧され、夫の死後もその遺書を見ることすら叶わない。静の存在を一歩引いて俯瞰することにより、『こころ』が孕む父権社会とその価値観の中で、彼らの手によって彼女の存在が歪められていることがわかる。以下に2つの要素を挙げる。
「必竟女だからあゝなのだ、女というものは何うせ愚なもの...