密教の歴史

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    資料紹介

    僕は家がまったくの無宗教でもちろん仏教のことなど何も知らず、ましてや、密教なんて聞いたことがないくらいのものだから、とりあえず密教について、この本をよんでわかった事を、歴史をなぞりながら述べておこうと思う。
    そのまえに基本的事項について確認程度に。密教とはいってしまえば仏教の一種である。大乗仏教のように大衆に広めるものでなく、その名のとおり秘密の仏教である。神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
    雑密経典とよばれる呪法の経典は六世紀頃までに成立していたようだが、純密経典と呼ばれる『大日経』『金剛頂経』など北東インド、ベンガル地方のパーラ朝で大乗仏教の発展形として成立したものが七世紀後半、密教の興りとして採用されているようだ。
    その後、八世紀、中国の仏僧・善無畏 (ぜんむい) (637〜735)、金剛智 (671〜741) 、不空 (705〜774) によってシルクロードを通して中国に伝えられ、真言宗として確立。
    チベットの仏僧パドマサンババ (蓮華生) により、チベットに伝えられ、ラマ教へと発展。
    804年入唐し、長安で青竜寺の恵果 (けいか) について密教を3年間学んだ日本の仏僧・空海 (774〜835) が帰国。
    ここで仏教もなんにも知らない僕が考えたのはインドから中国、チベット、日本に伝わっていてその時期がほぼ一緒であるということが不思議だということである。この頃の日本、中国の関係やその状況について少し調べてみた。まず中国から日本に伝わったわけはそのころ日本は大宝律令など中国に政治的、宗教的に教わっていたということがあるのではないだろうか。事実、金剛智の弟子に不空(ふくう)という僧がいて、その不空の弟子である恵果(けいか)、かれこそが日本に密教を広めた空海の師匠に当たるのである。

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    僕は家がまったくの無宗教でもちろん仏教のことなど何も知らず、ましてや、密教なんて聞いたことがないくらいのものだから、とりあえず密教について、この本をよんでわかった事を、歴史をなぞりながら述べておこうと思う。
    そのまえに基本的事項について確認程度に。密教とはいってしまえば仏教の一種である。大乗仏教のように大衆に広めるものでなく、その名のとおり秘密の仏教である。神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
    雑密経典とよばれる呪法の経典は六世紀頃までに成立していたようだが、純密経典と呼ばれる『大日経』『金剛頂経』など北東インド、ベンガル地方のパーラ朝で大乗仏教の発展形として成立したものが七世紀後半、密教の興りとして採用されているようだ。
    その後、八世紀、中国の仏僧・善無畏 (ぜんむい) (637~735)、金剛智 (671~741) 、不空 (705~774) によってシルクロードを通して中国に伝えられ、真言宗として確立。
    チベットの仏僧パドマサンババ (蓮華生) により、チベットに伝えられ、ラマ教へと発展。
    804年入唐し、長安で青竜寺の恵果 (けいか)...

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