『古事記』の倭建命の章を検討し、ヤマトタケルは、最後死して白鳥となって翔けていくが、「英雄であるはずのヤマトタケルはなぜ死なねばならなかったのか」という点について、ヤマトタケルの悲劇性を軸に論じたミニレポートです。
景行天皇のとして生まれ、その「建く荒き情」をもって辺境をめぐり、全国平定に】貢献したヤマトタケルは、なぜ死ななければならなかったのか。
ヤマトタケル説話は、小碓命の兄殺しから始まる。父景行天皇は、小碓命に、朝夕の大御食に出てこない兄大碓命を「泥疑教へ覚せ」と命じた。しかし、五日経っても大碓命が参上しないので、天皇は小碓命に、まだ教え諭していないのではないかと問うと、「すでに泥疑為」と答えた。不審に思った天皇が、「いかにか泥疑つる」と問うと、「朝けに厠に入りし時、待ち捕へてつかみひしぎて、その枝を引きかきて、薦に裏みて投げ棄てつ。」と平然と答えたのであった。それを聞いた天皇は、小碓命の「建く...